文芸、アニメと来たからには次はゲームの話をしたい。
脈絡があるわけではないがゲームの話をする。
本当は前々回のガルパンに引き続く形で、ある戦車戦ゲームの話でもしようと思ったのたが、ちょっと思うところがあったのでソーシャルゲームの話にする。
言うまでもなく、最近ガンガンTVCMなどをやっている、スマホなどで遊べるゲームの総称であるが、ソーシャルゲームという単語を調べると「主にソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)上で提供されるオンラインゲーム・ブラウザゲームである」と出てくる。
これが、自分はずっと疑問だったのである。
ソーシャルネットワーク上で配信されている、これらのゲームと名のついた代物たちは、本当に「ゲーム」なのだろうか。という疑問である。
たとえば「パズル&ドラゴン」は。「ガールフレンド(仮)」は。ゲームなのだろうか? と、やりながら思ったのである。ところでこのガールフレンド(仮)というタイトルはなかなか秀逸だと思う。そういえば「ドリランド」というタイトルもあるが、それをパクったR18ソーシャルゲームが存在し、まあタイトルは想像できると思うので書かないが、笑った記憶がある。さらに書いていて思ったが、ソーシャルゲームでR18のものが出現しているというのは世も末である。
ところで、上に書いたとおり、Mildは普通にソーシャルゲームをプレイする側の人間である。色々つまんでみては放り出すようなプレイスタイルではあるが、率直に言うと、ゲーム性はどれも皆無に等しいものばかりだ。だからこれらを「ゲーム」と言うのはどうなのだろうとずっと思っていたわけである。
ゲーム。調べると「遊びや遊戯と訳され、勝敗を決めるためのルールや環境または他人との相互作用を元にした、普通楽しみのために行なわれる活動である」とある。この意義に忠実であるなら、なるほどゲームである。ところが自分はソーシャルゲームはそうではないと感じるのである。不思議だったが、ふと思い至ったのだ。
肉薄しすぎている、そう感じるのである。生活そのものに肉薄してくるのである。例としてMildが一番やっているであろう「アイドルマスター シンデレラガールズ(以下モバマス)」をあげるとするが、このゲームは、というかソーシャルゲーム全般は、日々の時間の隙間で楽しんでね。というゲームのはずなのに、本気でプレイしようとすると、逆に時間の隙間を作ることに腐心しなければならない作りなのである。「イベントの最終日に有給を使う」という都市伝説まで存在するのだから尋常ではない。
ルールに現実の時間を関連付けたことが、この嫌な感じを生み出している元凶であることは疑いようがない。「スタミナが3分に1点回復する」とかいう基本方針を生み出した人物は天才である。これによって、大多数のソーシャルゲームはすべてが時間に支配された。そして、ソーシャルゲームはプレイヤーを支配しようとする。時間と魅力的なキャラクターによって。
恐ろしいのは。そんなことをする必要のないオフラインゲームやMMOなどがこの方法を見習って逆輸入しつつあることだ。何分に一回。何時間に一回。一日に一回。そうしてプレイヤーは時間に支配される。
はたしてそれはゲームなのだろうか。
もちろん嫌ならやらなければいいのである。オフラインゲームならそれは簡単で、電源を切るだけでいい。だが、オンラインゲームはその当然の判断を罪深い決断に変えてしまう要素がいくつもいくつも存在するのだ。大規模MMORPGでちょろっと遊んでいたつもりがギルドに加入してなんかごっちゃごちゃした人間関係が発生して……みたいな話は界隈でよく聞くが、俺も似たような経験はしたことがある。あれは非常に面倒臭い。だから俺はいわゆる「MMORPG」というものを好んでプレイすることを諦めてしまっている。だって面倒臭いんだもの。メガテンとかやってるほうが全然楽しいし気軽である。
話を戻すが、確かにモバマスは「見ていて」楽しい。魅力的なキャラクターたちに彩られている。だがこれは、ゲームとしての楽しさ、というものの本来の形とは違うはずだ。ちょっと作りが残念な据え置き機のキャラゲーの方がよっぽどゲームしてる。
モバマスの核はキャラクター性のみである。そしてそれだけで十分に成立してしまっている。毎日毎日TVでCMが流れているのがその証明だ。
ところで「基本無料の~」というのは最近のスタンダードであるが、それらの課金システム部分に今まで触れて来なかったのは、触れるまでもなく糞だと思っているからだ。
さっさと強力な法によって規制されたほうがいいと思うのだがどうなっているのだろうか。
こんなことを書いているが、当然Mildは課金したことがある。しまくったこともある。
昔、あるところで「課金を続けていると脳みそが溶けてくる」という発言を目にしたことがあるが、これは真実である。
試しに、起こる事象を書いていく。例によってモバマスだが、このゲームでは、「その気になると」おおよそ5秒以内に一回、3000円で電子情報を買うことができる。投入し続けると1分の時点で3万円を軽く超えるのである。瞬時に処理は終了する。まったく無慈悲に、1分で3万円である。10分で30万だ。その前に財布か精神がパンクするだろうが。
そして、そのお金を使ったとして「欲しい物が手に入らない場合もある」のである。
ちょっとした麻薬といっていいだろう。入手できないのだったら、出るまでやる。という思考回路の持ち主は確実に存在するだろうからだ。自分はさすがにそこまでやらないが。
だがこれは、だからこそ課金できるのである。なにか物体的な物を購入するわけではないし、ネットショッピングよりもずっと簡単にポチることができる。決断にかかる時間も極めて短い。5秒やそこらでことの重大さを認識できるかといわれると、多くの人は難しいはずだ。そして、そんなことにお金を使わない人も当然多数存在するだろうが、そのような健常な金銭感覚の持ち主はそもそもそういう部分に足を踏み入れたりしないのである。逆に、ちょっと感情に抑制をきかせることのできないタイプの人間はコロっといくだろう。そのうちの何割かは確実に未成年である。自分が恐ろしいと感じているのはこれで、ソーシャルゲームは、未成年に対して金銭を消費させることに対して、制限する機能があまりにも貧弱なのである。確か、以前にグリーあたりが怒られていた記事を読んだ記憶がある。
一応、携帯端末で月額に突っ込める料金の上限は決められているはずだが、それでも1万円とかなのである。これを多いと見るか少ないと見るかは人それぞれだが、我々くらいの世代からすると高校生が月に1万とかどうかしている。と思うはずだ。
こう書いて、俺も高校時代月にゲームに1万とか余裕で使ってたことを思い出したが、自分でバイトして稼いだ金でのことであるからこれは俺の勝手である。自分の金ならどんどんやっていいとは思っている。自己責任だ。
それにしても、未成年が、ゲームを一番楽しんで遊べるだろう世代が、あのようなゲームを楽しんでいるという現状が、自分はちょっと物悲しい。自分の、年齢を重ねて擦れた精神では想像もできないが、彼らはソーシャルゲームで一喜一憂したりしているのであろうか。我々がサターンやPSのゲームにそうしたように。